事例 家業を継いで 男性38才、うつ病からの立ち直り(チェック・リストが役立った)

企業に三年勤務後、家業に。翌年うつ病に

事例紹介

商社の海外派遣社員として三年間勤務。仕事も順調にのりだしたころ実家の父親から「家業の印刷業を継げ」という命のもと、退社した。翌年の春ごろからうつっぽくなり、仕事ができなくなる。近くの診療内科で受診したものの、一年たっても改善を見ず、当センターに来所となる。

(福井正雄(仮名)36才男性、既婚、小学6年生と4年生の息子二人)

妻に伴われて来所、苦しい気持ちを打ち明ける

腕組みをしたままじーと動かず福井さんは座っていた。そばにいる妻が心配そうにときどき顔をのぞきこんでいる。「うつになって一年が経過ですか。薬はのんでおられるんですか」というセラピストの問いかけに「はい、近くの心療内科でもらって。でも効かないんですよ」と、福井さん。「詳しくご様子をお聞かせくださいませんか」と言うと、苦しそうな表情がしばらく続いた後、やっとおもい口を開いた。

「朝起きられない日がずーと続いています。もう半年近くも。一日中ふとんの中という日もあります」。パジャマを着替えるでもなく、食事をするでもない。仕事は父親が仕切っているので、生活費の心配はないが。そばにいる妻が口を開いた「私も心配です。いつまでこんな状態なのか。でも最近では夜テレビをみたりしていることもあります。明日は動けるんじゃないかと。それが朝になるとダメで。『いい加減にしてよ。いつまでこんなだらしない生活してるの』と、責めたこともありました。そうはいっても本当につらそうで、今は何とか早く治って欲しいという思いでいっぱいです」。

「こんな父親ではいかん」と、自分を責めて

「一番おつらいことは何ですか」とセラピストが聞くと、福井さんは顔をゆがめてこう答えた。「上の子がもう六年生で、中学受験させたい。塾には通っているが、家でみてやることも必要だ。それも気ばかりでちっともみてやれんままで。下の子は野球が好きで「お父さん、キャッチボールして」とせがむんですが、それどころでない。「テレビゲーム、クリアーできたよ、みてみて」と、なんとかして父親にかまってもらいたくてひっついてくる。

自分の身をもちこたえるだけでもせいいっぱいなのに、そんなたいへんなことはとうていしてやれない。「こんな父親ではいかん。なんとか子どもにとっていい父親にならなくては。そんなこともできない自分は、ほんとうにダメ人間だ」と、自分を責めてばかりいた。

「うつのチェック・リスト」が注意どころを示唆

自己問診票ともいってチェック・リストは自分のうつ度をはかるのに最適な方法である。福井さんにやってもらって、セラピストが採点するとかなり高い点数である。「うーん、68点か。これはかなり重いほうですね。項目を一つ一つ吟味してみましょう」。

細かくみてくなかで、福井さんがとくに生活のなかで注意したほうがいい点がみえてきた。例えば「一日のうちで朝方に気分の悪さがある」という項目。妻は「朝起きてこないのは、怠けているのでは」という非難のまなざしだった。セラピストは「うつは一日のうちでも気分の変動があり、午後から夕方にかけて楽になるものなんです。朝はおつらいでしょうから、ゆっくりさせてあげてください」というアドバイスを出した。 (うつのチェック・リストをお試しください)

企業では優秀社員だった福井さん

福井さんはこう話した。「今はこんな状態で信じられないかもしれませんが、会社では優秀社員と言われてたんですよ」。得意先の評判もよく、ミスも少ないし、きちょうめん。上司からも信頼されていた。「あの頃が最高に楽しかった。やる気まんまんで毎朝出社してました」。

それがなぜこういうしんどい症状に陥ってしまったのか。面接治療がすすむなか、現在の生活で思わぬキーポイントが見つかった。

父親との正反対の性格が浮上

「三年間他の企業で丁稚奉公の修業をつむ」という父親との約束で福井さんの社会人生活はスタートした。約束の三年がきてしまって、残念ながら退社し実家へ戻った。家業を継ぐという名目で父親の下で働きだした。父親は福井さんとはちがってワンマンタイプ。「おい、これはこうやれ」「なんだこのやりかたは」と言い方も命令口調。声は大きく押し出しもつよい。繊細で几帳面な福井さんとは相いれなかった。しかし「長男やからしかたない」と、がまんを重ねていた。

妻に相談したが「お父さんは、あんなタイプの人なのよ。あなたが気にしすぎよ。もっと割り切ったら」と、取り合ってくれなかった。

そんなこんな状態のなかただ自分を抑えてガマンするという一年が過ぎたころから、福井さんはだんだん仕事に対してやる気がなくなってきた。

家族で話し合いの家族療法が立ち直りのきっかけに

個人療法では限界があるし、治癒に長くかかると判断したセラピストは両親や妻も参加の家族療法に切り替えた。

何回かの家族面接ののち、「息子は怠けている」という厳しい目でしか見れなかった父親も、だんだん理解しはじめた。「商売の数字をあげることばかりが大事と思って、つい気がつかんで」と、素直に自分の押し出し商法を抑えることに同意。息子の意見も取り入れ始めた。

福井さんも生活の立て直しをスタートした。妻もふくめ親子四人で話し合った結果、やりやすいことから実行していくことになった。「朝起きたら、服に着替える」「食事は遅れて一人でもいいから、テーブルでとる」「息子と遊ぶのはしんどくなるといけないので、学校から帰ってきたら『おかえり』といって頭をなでてやる」。この三つが決まった。「これならできそうです」と、福井さんも心なしが背筋をしゃんとしていた。

小さなことの積み重ねがうつからの脱却

「こんなことできてあたりまえやないか」と思われるようなことのほうがよい。うつから立ち直るスタートは、欲張らないこと。「新聞の見出しが読めるようになったら、うつから立ち直るきざしですよ」と話したことがある。クライエントは「え、そんなことが?それならできそうだな」と、それを目標にどんどんよくなっていった。

「パジャマを服に着替えるなんて、して当たり前」と、思われるかもしれないが、こんなことができなくなるのがうつである。小さなよい変化を目標にして、できたら家族の人も「よくできたね」と評価してあげる。この積み重ねがうつからの脱却につながるのである。

福井さんも家族療法をスタートして三ヶ月たった。セラピストの指導のもと家族の協力を得て、少しづつ父親の職場に顔を出せるようになってきた。

2019.04.17  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊一

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

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