家族療法について

一口に家族療法カウンセリングといっても、その手法や流派はさまざまです。
「淀屋橋心理療法センターにおける家族療法カウンセリング」についてお話ししましょう。

なぜ「家族も参加」のカウンセリングでなくてはならないのか。
それはやはり家族が一番身近で大きな影響力を持つからです。しかし「家族は生き物」ゆえに複雑で、理想論だけではなかなかうまくいきません。

淀屋橋心理療法センターでは、次のポイントに重点をおきカウンセリングを進めています。

  • 現在かかえる家族の問題や症状から抜け出すために、家族はどのように援助すればよいだろうか。
  • 家族の援助が効果をあげることができる家族関係になるには、どう変化していけばいいだろうか。

これらが家族療法カウンセリングの一番の基本です。
家族にアドバイスを出すことによって、これらの基本が大きく機能し問題解決を可能なものにしていきます。本人の治療に関係なければ夫婦がもめていてもかまいません。また必ずしも親子が仲良く全員一致していないといけないとも考えません。このように淀屋橋心理療法センターの家族に対する考え方は、いつも現在を中心に現実に起こっている出来事を重要視しています。

なぜ家族療法なのか

心病む若者が日常の入院生活で心を開いてくれる

今から35年ほど前、私は大阪のある総合病院の精神科に勤めておりました。 そこには思春期の子どもたちがたくさん入院していました。精神病というほどのことではないのですが、自殺未遂があったり、家出を繰り返したり、シンナー中毒であったり、かなり深刻な状態の人たちが相談に来られていました。そして、生命の危険があるからということで入院するわけですが、子どもたちにしてみれば最初入ってきたときはショックですね。

それからしばらくして、だんだん立ち直ってくると、たとえば、中庭に出ているときに「今日はいい天気ですね」なんて、ポツリと言うようになるんです。そんな何気ない言葉がきっかけになって少しずつ心を開いていくということがあります。こちらも気をつかって、あまり当たりさわりのない話題、たとえば、「あそこに公衆電話があるけど、あそこで電話をかけているのは誰かなー」とか、いろんなきっかけをなんとかつかもうと思って話しかけます。そういう風につきあっていますと、その子どもたちはちょっとしたことがある度に私の元にやってきます。

若者の心深くにある家族の話

だんだんと心を開いてきて話し合えるようになってくると、必ず出てくるのが家族の話なんです。
最初に話し出すのは「友だちとうまくいかなかった」とか、「自分の性格がイヤなんだ」とか家族以外の話が多いのですが、最終的に重い口を開いて非常に大事そうにしゃべりだすのは家族のことが多いんです。
「僕の気もちは○○なんだけど、お父さんはわかってくれないんだ」とか、「お母さんがすごくうるさいんだ。でもどんなに言ってもダメなんだ」とか、そういうようなことを語り始めます。あるいは、兄弟がどうだとか、その語っている様子は、口唇をふるわせたり涙を流したりしています。そんな子どものみていると、家族とのふれあいがこの子にとってはどんなにか辛い経験なんだという印象を受けます。「どうしてそういう辛い気もちを親に言うチャンスがなかったんだろう」と思うと、その子がかわいそうになってきます。

さらに話を続けていくうちに、私がお手伝いしたら何とかなるかもしれないという気もちが湧いてきました。そこで、思い切って両親に来ていただくことにしました。お父さんが「夜遅くしか来れない」と言われ、外来に電気をつけて待っていると、11時ごろになって家族全員が来られました。そして、みんなで心の問題について話し合ってみようという場を設定しました。

家族システム論

家族はむつかしい。専門家でも。

家族療法家は症状を背負った子どもをみる場合、家族が問題らしいということ、奇妙なこと、興味深いこと、その他非常に大事なこと等さまざま気がついていました。

しかし、残念ながら家族療法家は長い間認められるということがなかったのです。それは、やはり家族を扱うという技術が大変むずかしく、治療を成功に導くことが最初のうちはできなかったという理由からきています。面接の場で、治療者自身が家族に巻き込まれてしまい、何が何やらわからないという状態陥ることがよくあります。それぐらい家族というのは中へ入りますと混沌としたものをもっています。

そういう意味で、家族療法は最初は失敗の連続でした。ここが問題だということはよくわかっているけれど、それをどうしたら良いのかわからない。自分の思うとおりやっても全然思うようにいかない。
たとえば、家族のコミュニケーションが問題だと思って治療者は家族の人たちがいろいろ話し合えるようにもっていきます。家族がニコニコ話し合う。お父さん、お母さん、子どもさんが仲良く和気あいあいと話している。「よし、これでコミュニケーションはうまくいった、バンザイだ」と思っていたら、次の面接に来られた時に「また悪くなりました」というようなこともあったりするわけです。
単にコミュニケーションがうまくいったから、治療が成功したというわけではやっぱりないんです。もう少し深いところに入り込まないといけないんでしょうか。

家族システム論との出会い

そういう家族療法で四苦八苦していた頃、1950年、60年、70年代ぐらいからぼつぼつと「家族システム論」という考え方が進んできました。家族療法は「家族システム論」が見つかり、そういう考え方が生まれて初めて家族を効果的に援助できる形になったわけです。それまでは家族で集まるということはむしろ有害であると考えられていました。
むしろ、個人個人にとって自分の人生をどう生きていくか、今の自分の前にある問題をどう解決していくか、その方が大事なんだという考え方が主流を占めていました。

これにはそれなりの理由があるということで、もっともなことです。やはり人間の考え方というのも、技術の発展とともに変化しています。産業革命の後に技術が進歩し、それに合った考え方が進んできました。家族療法の分野でもこれと同じことがいえます。
家族を扱ってどうもうまく解決できないという時には個人を対象に考えていたが、家族全員のことがうまく扱えるようになると問題ではないかというような思想が出てきました。個人個人の問題もあるけれど、むしろ家族全体のかかわり合いが子どもの症状に大きな影響を及ぼしている。ここを解決することができればかなり早く、かなりすきっと様々な情緒障害の問題が解決できるんじゃないか、という考え方に変わってきました。あるいは、解決できるという報告が1970年代の後半から続々と発表されだしました。今では家族療法関係の本はアメリカでは一つの本棚におさまらないぐらいにたくさん出ています。

家族システム論とは

次に、その家族システム論というのはどういうことかというお話をしましょう。
端的に言うならば、家族は一つの顔をもっているという事です。お父さんの顔、お母さんの顔、子どもの顔、それぞれ違いますが、家族全員が寄り集まった時に見える顔は、それとはまた違います。日本でもよく言いますね。「夫婦は『1+1=2』ではない」と、あれです。
日本には家族を全体としてとらえるという思想がすでにあったわけです。家族一人一人を足してそれぞれの性格がこうだから、この家族はこういう家族だということは言えないんです。
たとえば、お母さんはA型だからこういう人、お父さんはB型だからこういう人、子どもはO型だからこういう人、それを全部足すとA+B+O=ABOだから、この家族はABO家族だということが言えないんです。それはなぜか。

実は、お父さんにしても変わるのです。ある大きな会社の事業部長さんで、いろんなことをバリバリこなしてきました。組織を動かすことなんかはお手のものです。部下のカウンセリング、まかせなさい。そういう方なんですが、いざ家に帰って息子さんの前にでるとまったく無力になってしまいます。これはどういうことでしょうか。技術はあるんです、見る目もあるんです。しかし、自分の息子に出会ったときにはまったく無力になるる恐ろしいことですね。これは、その人がその場に影響されていると言えます。どこの場にいるかということで、その人の力の出方が変わるわけです。

会社という場では非常に有能に動ける人が、家族という場戻りますと急に力がなえてしまう。いたずらに怒っても、それは効果を生むのではなくて、むしろ子どもを閉じこもらせてしまいます。会社ではじっくり聴くことが相手の心を開かせるのに、子どもの場合には反発を招いてしまう。これにはお父さんがびっくりしてしまいます。長いあいだ自分が家庭という場にあまり居る機会がなくて、子どもと対応する経験が少ないお父さんにとっては、特に大ショックです。
「よし、まかせなさい。もうお母さんではダメだから自分がやろう」と、パッときてみたら、とたんに自分の力がゼロになっている。こういうことが実際に起こります。この場合は何によって影響されているかというと、やはり家族全員のつき合い方ということができます。家族の関わり方によってこういう現象が起こるのです。これは必ずしも家族にだけ見られることではありません。

個人ではなく、家族として集まった時に姿をあらわす家族のパターン

たとえば、弱いおとなしいという人が一人おられます。一人ではおとなしいんです。二人でもおとなしい。三人でもおとなしい、四人でもおとなしい、五人でもおとなしい。しかし、十人になるとかなり恐い顔をして相当のことをやるということもあります。これは先ほどの家族と同じで一人一人の性格を足していったところで生まれることじゃないんです。
「群集心理」という言葉のように、同じ性格でも十人集まれば全体としての性格は変わるかもしれません。そういうものを家族とか集団というものは持っています。これが家族療法の難しいところです。従来の考え方からするとお父さんが悪い、お母さんが悪い、子どもがやっぱり親のいうことをきかないから悪い、という風に言われていました。こういう風に母親が父親が兄弟がとか、あるいはおじいちゃんがとか、ある特定の個人に問題があるとされていましたが、そうではなく、これは全部一人一人の行動がその場の力というのにずいぶん大きな影響を受けていることから起こるのです。

ある面接場面を切り出してみましょう。お父さんが、がむしゃらに娘に対して非難している。学校をどうするかという話を私がしたら、娘さんは「行きたい気もちはあるけど、どうせ私いかれへんし、そんなん言ったって・・」と、グズグズしている。するとお父さんが、「そんなこと言ってるからあかんのや。ああやない、こうやないとか、そんなことでどうするんや!」と、一方的にパッパーっと言う。
この二人のやりとりを見ていますと、明らかにうまくいっていません。機能不全を起こしているわけです。しかし、お父さんが同じことを外でやったらうまくいくんです。会社ではそれでバリバリ成功しておられるそうです。だから、これだけ見てお父さんのやり方が悪いというわけにはいかないんです。

同じことを言って外では成功するが、なぜ家の中では成功しないか、ということを考えることが大事なんです。そういうことを見てみますと、家族という生き物はそれ全体が一つの独特の個性というか、顔を持っています。この全体としての性質をとらえない限り、家族を面接してうまくいくということは難しそうだということがわかってきました。

家族のパターンをよく知ってから援助するという手法が進歩をとげてから、家族療法は画期的な成果を上げるようになりました。当センターでは、治療技術はさらに進み、治る時は劇的だが、当たり外れが大きかった問題も解決し、安定的に高い解決率、きれいな治り方を実現しております。悩んでいる若者の特性をくわしく分析することからこの成果はうまれました。