
摂食障害のご本人による体験談は目にすることがありますが、
お母さんによる体験談で長編のものはかなり珍しいと思います。
20代の過食症の娘さんのご相談がとてもきれいに解決したケースです。
娘さんご本人は一度も来所されず、お母さんお1人で、当センターに約1年半通われました。
摂食障害の解決は簡単なものではありませんでした。
何度かピンチが訪れましたが、お母さんはうまく乗り越えられました。
このご相談が解決してから、担当した私が「体験談を書いてくださいませんか?」とお願いすると、お母さんは快く「書いてみます」とお返事をくださいました。
後日、当センターに郵送で届いたのが、なんと!
A3で14枚、手書きの体験談でした。
そしてそこには、
「娘の成長記録」
「振り返ってみて楽しかった」と書かれていました。
この貴重な体験談は、
「摂食障害は治らない」
そう思っておられる多くの親御さんへの対応のヒントが詰まっており、
希望の光になるでしょう。
この素敵な体験談を書いて下さったお母様に心より感謝申し上げます。
ぜひ、多くの方に読んでいただければと思います。
淀屋橋心理療法センター 臨床心理士・福田俊介
「またみんなで食事ができるようになりたい!」お母さんの切なる願い
この体験談を読んで頂くにあたり、
事前に少し状況を説明させていただきます。
(個人が特定されないように、人物の名前などは、元の文章から一部修正しております)
淀屋橋心理療法センターがある大阪から電車で片道2時間ほどの○○県に住む20代の紗月さん(仮名)は過食症。
会社員をしながら、小説を執筆しておられ、ネット上で高く評価されたり、出版もされています。自分の意見を主張したり、人に相談することがとっても苦手な人で、
ストレスをため込みやすい性格です。特に、職場では自分の言いたいことを言えません。
職場での出来事を我慢した結果、帰宅後、家で過食するのです。
お母さんが家族みんなの分として買っていたパンを紗月さんが全部食べてしまって、
揉めてしまうこともよくありました。
また、紗月さんが食事を家族と一緒に食べなくなり、リビングで誰もいない時に1人で食べるようになりました。
そのことを、お母さんが
「家が暗くなっている。またみんなで食事ができるようになりたい」
と仰っていたのが印象的でした。
紗月さんは実家で、祖母、父、母、兄と暮らしています。
摂食障害になった頃から、「私はお兄ちゃんほど親に構ってもらえなかった」と言うようになりました。不満を不機嫌な態度で示すことがよくありましたが、あまり言葉で不満や悩みを家族には伝えることはしません。
お母さんの職場の上司がメンタルヘルス担当だった為、相談したところ、
その方が淀屋橋心理療法センターを紹介してくださったそうです。
カウンセリング治療体験手記
春は慌しく過ぎ、青葉の季節からとうとう梅雨入りしてしまいました。
淀屋橋心理療法センター俊介先生はじめ、スタッフの皆様方には本当にお世話になりました。
おかげさまで娘、紗月(仮名)も、後戻りすることなく前を向いて一歩ずつ自分の分岐点を選んで進めるように成長しています。
人間生きてる以上、人との関わりの中で生じる悩みは尽きることがなく、
紗月も私も例外ではなく、日々雑多な悩みが多いことには変わりはありません。
時にやけ食いをしたり、パーっと食べに行って発散したり、こんなことが普通にできるようになったのも、ここ(淀屋橋心理療法センター)での治療のお陰と日々感謝しています。
本当にありがとうございました。
カウンセリング治療を卒業してから2年
紗月のセンターの治療を卒業して・・・というよりは、私がセンターでの治療教育を卒業させて頂いて、早いものでもう2年になろうとしています。
あの頃のことはまるで悪い夢のようで、今では本当にそんなことがあったのか
と思ってみたり。
だんだん薄れていき、遠い思い出のように霞んでいきます。
けれども、忘れて行くにはもったいない娘の成長の記録であり、
私が親として第2ステージに立つための、これも一つの成長記録だと思うので、
1年半のカウンセリングの記録を読み返してみることにしました。
そして思ったこと。
娘は娘の時代の、あの子なりの感性と判断で生きている。
余程とんでもないことを考えない限り、それはあの子の生き方なのだということが
よくわかりました。
親離れ子離れということをよく聞くけれど、それは離れるというよりは、
どう思っているのか話をよく聞いて、どう考えて、どう動こうとしているのか・・・
その戸惑いの中で、なんとか立ち上がろうとしている姿を認めて、見守っていくことではないのかなと思いました。
私も早65歳、楽しく子離れができていきそうです。
そんなこんなで私が治療を通じてどう変わっていったかを書いてみたくて、
長い手紙を書くことにしました。
過食症治療は「食べる」が変わること
彩りと賑わいが戻る食卓、モノトーンからカラーに・・・
無声無音から、わいわいがやがやに・・・
過食症の治療は、過食をしなくなることではありませんでした。
過食は姿を変え、隠れ食べ+ウツ+ただ体に食べ物を仕込んで安心する行為・・・
からの、積極的過食。
「今日は食べたる!」
「これが食べずにおれるか!」
その次
「おかんのせい!」と言わなくなる。
自分の意思で過食して、過食を止められる。
その次、味・満足・食材チョイス・食の周囲に彩りが感じられるようになる。
そしてイベント過食
イベント過食とは、旅行・家族で外食など。
ちゃんと満腹感が出る。
最後、
孤食・隠れ食べだったのが、みんなと食べる。誰かと食べる。話をしながら。
に変わりました。
過食症が治っていく過程は、過食が止まっていく過程ではなく、
食卓がたった一人のモノトーンの食卓から、たくさんの家族・たくさんの色の野菜や食材(
味や色、香りが見える彩り食材)に変わっていったことです。
食べ過ぎはよくあることです。
特に冬、鍋ができるようになったのは本当に嬉しかった。
色々の生活の変化が美味しかった。本当にありがとうございました。
まさか娘が摂食障害・・・え~ほんまかいな。でも認めざるを得ず
《身近な人の変化はわかりにくい・毎日見てるからこんなもんで終わってしまう》
娘の過食症の治療のため、私が淀屋橋心理療法センターにお世話になったのは、
2019年4月のことでした。
「ダイエット」から「過食症」へ
過食症になったのは、母親の私がカウンセリングに通いはじめる2、3年ぐらい前からだと娘は言います。
やたら体型やスタイルを気にし始め、いつもスマホでカロリー計算をしながら、
食卓に計りを持ってきて食べるようになりました。
「えらい本格的にやるなぁ」と思っていました。
ガチのダイエットをする前は、休みが合うと二人で美味しいパン屋さんを見つけては食べ歩いていましたから、その変わりようにびっくり。
でも若い女の子にはありがちなことだなと思っていました。
娘には東京にすごく仲の良い友達がいて、その子が都会的で垢抜けていて、
「何を着ていても似合って羨ましい!」といつも言ってました。
よく一緒に旅行に行くのですが、旅行が終わると本気でダイエットを始めるので、
「また頑張っとるな」ぐらいに考えていたのです。
その頃、おじいちゃんが癌末期で入退院を繰り返し、認知症もあったので、
付き添いをしていました。
私はその頃フルタイムで働いていて、夜勤もありました。
家の事はおばあちゃんとお父さん、娘で
みんな大人だから何とかしてもらってる・・・と思っていました。
おじいちゃんの葬儀の日、激やせしている娘にびっくり。
「紗月ちゃんえらいスマートになって、スタイルようなって、誰の子かわからんな」
親戚の人に口々に言われ、娘は恥ずかしそうに笑っていました。
けれども顔色が悪く、老女のようなツヤのない痩せ方で
私:「どうしたん?ダイエットやりすぎちゃう?」
娘:「こんなんではあかん。43キロまで痩せないと、痩せたとはいえん」
私:「そうなんか。でも気いつけや」
で終わっていました。
それから一年、法事など色々とありました。
初盆の後、娘は体調を崩して点滴に通い、内科の先生に
「熱中症ですね。ダイエット、無理しすぎたらあかんで」
と言われ、懲りたのか少し食べ始めました。よかった。
過食のエスカレート 家中から食べ物が消える
ところが彼岸を過ぎた頃からか、お供えのお菓子が全部無くなっていたり、
棚崩しで各家に分けたはずのお菓子や菓子パンが消えていたり、
冷蔵庫に作りおきしていたおかずが全部消えていたり、
訳が分からないことが度々起こりました。
家族に聞いても「知らん」と言います。
私の家は山が近いので、
猫かたぬきか猿か?
でも動物ならば散らかしているはずが、きれいさっぱり消えている・・・謎でした。
そしてその一年で、あれほど痩せていて心配だった娘が、
黒いダボダボの服を着るようになり、顔も少し丸くなって、
血色も良くなってきていたのです。
「アホなダイエットついに止めたか。良かった」その時はそう思いました。
しかし一周年が過ぎ、家の中が落ち着いた2019年4月の初め
「おかん聞いてくれる?私、病気やと思うねん。食べ物が気になって気になって
かなわん。目に着いたら全部なくなるまで食べんと気が済まんねん。
法事のお菓子の供え物も、おかずも全部私が食べてしまった」
「なんで?どういうこと?そんなん病気やで!」
「だから病気って言うてるやろ」
「なぁ、何か良い病院を探してよ。私このままだと駄目になる」
いろいろ探したのですが、遠い上にみんな精神科でした。
「精神科はハードル高いわ。内科とかカウンセリングとかないのかな?」と。
私の職場の上司がメンタルヘルスの担当をしていて詳しいから教えてもらう、
ということで納得。
次の日、上司に相談すると
「それ摂食障害やろ、多分。はよ受診をせんとやばいで。
悪化して鬱とかになったら仕事も続けられへんでしょ」
そしてネットで淀屋橋心理療法センターを見つけてくれました。
淀屋橋心理療法センターへ相談する
早速電話。
しっかりした感じの男の先生が対応してくださり、無料の相談日(現在は有料)があると教えてくださいましたが、一か月先・・・。
そこまでこわくて待てません。
「有料で一番早く取れる予定で入れて下さい」とお願いしました。
「本人は連れて来なくていいですよ。お母さん、お一人でお越しください」
ちょっとほっとしました。
行くとか行かへんとかゴテゴテ言いそうなので、私か一人でカウンセリングに行ったらいいのか。
で、対応方法勉強をしたら治るんか。
そんな凄く安易な気持ちで、その時はいました。
【予告】摂食障害カウンセリング治療体験談 繰り返す過食が止まるまで| vol.2 「紗月にうまく対応するのは難しい」
「またみんなで食事ができるようになりたい!」という願いを胸に、紗月さんの過食症治療に臨まれたお母さん。カウンセリングでのアドバイスを実践しようと頑張るのですが…
摂食障害カウンセリング治療体験談 vol.2 「紗月にうまく対応するのは難しい」は、こちらから↓(2025.10.03 掲載予定です)