大学生の万引きと夜尿症克服の事例 〜大人の赤ちゃん返り(幼児退行)〜

遥さんは19歳の大学1回生。
中学・高校とバスケットボール部で大活躍。
その後、スポーツ推薦でバスケの強豪大学に入学しました。

順調に見えた学生生活。しかし、入学して8ヶ月経った頃、遥さんはコンビニで万引きをして捕まります。実は、大学入学後、この分を含めて4回万引きしていることがわかっています。
また、高校生の時に、親御さんの財布からお金を抜いたこともありました。
その時、ご両親が厳しく叱ると、「ごめんなさい。二度としません」と謝ったそうなのですが・・・

親御さん曰く、遥さんは元々は真面目で努力家。
親を頼ったり、甘えてくることはほとんどなく、卒なくなんでもこなすので、あまり手のかからない子でした。

遥さんはご両親と4歳年上の兄の4人で暮らしています。遥さんとは対照的で、兄は明るく、よく喋り、甘え上手で愛想が良い人です。アルバイトしたお金で服を買ってあげたり、妹の遥さんを可愛がっています。

また、最近になって遥さんは月に数回、おねしょをしていることが分かっています(夜尿症)。
カウンセリングは、遥さんご本人は来所せずご両親のみが通ってくださいました。
万引きを治療する過程で、遥さんがどのように変わっていったのか見ていきましょう。

◆ 目次 ◆

《朝の光景(万引きをする前)》

大学入学後の部活初日。
朝、リビングの扉を開けると、笑い声がきこえてくる。食卓では、お父さん、お母さん、兄の隆太さんが朝食を食べている。隆太さんが、昨夜就活をして帰ってきたばかりの東京での話をして、3人が笑っている。
その3人とは対照的に無表情の遥さんが席に着いた。お母さんが、笑顔で「これ、お兄ちゃんのおみやげ」と、お皿に乗ったスポンジケーキを渡そうとしたが、遥さんは、「いらない」と手で制した。「それ、美味しいぞ」と隆太さんが言うと、「やめとけ、遥が一度いらないと言ったんだ。いらないんだろう」とお父さんが少し不機嫌そうな顔をした。

いつしか話題は隆太さんの就職面接の話になり、「あー。明日もかー。緊張するなぁー」と隆太さんが言うと、「大丈夫よ」「お前ならできる!」と両親は励ました。
「遥も、部活の初日で緊張するよな?お互いがんばろうな!」と隆太さんが言うと、「私は緊張なんてしないから!」と言い放ち、すぐに朝食を食べ終えると立ち上がった。
お母さんが「いってらっしゃい」と見送ると、振り向かずに「行ってきます」と言い、家を飛び出した。

《居場所争い》

遥さんの大学入学から半年が経った。毎朝早くから学校に出かけて行く。
部活も勉強もがんばっているようだ。弱音なんて吐かない。

一見、何も問題がないと思われた大学生活。しかし、ある時から状況がかわってしまった。実力が評価され、試合のメンバーに、1年生の遥さんが選ばれたのだ。
すると、先輩たちに「おはようございます」と挨拶しても、無視されるようになった。ポジション争いが熾烈なバスケ部で、「自分の居場所を奪われてたまるか」と必死な先輩たちからの嫉妬に他ならない。いじわるも始まり、徐々に、バスケットボール部が遥さんにとって大きなストレスとなっていった。そして、そんなある日、遥さんはコンビニで万引きをして捕まる。その後、発覚したのは、大学入学後、捕まった時も含めて4回万引きしていたことだ。盗んだのは男性用のひげそりやシェービングクリーム、サイズの合わないストッキングなど。遥さんには必要ではない物だ。

《心の距離》

子どもが間違った行為をしたら怒る。
それでも言うことを聞かなかったら、今度はもっとキツク怒る。
それでも言うことを聞かなかったら、もっともっとキツク怒る。
じゃあ、それでも言うことを聞かなかったら・・・。

キツク叱れば叱るほど、「遥との心の距離が遠のいて行っているようだ」
遥さんにどう関わればいいのか悩んでいたご両親が当センターにお越しくださいました。
カウンセラーは親子の心の距離が近づき、遥さんが親に対して本音で話せるよう成長させるように、ご両親にアドバイスを始めました。しばらくすると、徐々に変化が現れ始めました。

《ピザトースト》

万引き後、遥さんは大学を休んでいます。
食欲は少なく落ち込んだ様子です。
お母さんは、遥さんを責めるわけでもなく、無理に明るく話しかけるわけでもなく、極力、普段通りに接するようにされました。すると少しずつ遥さんから話しかけてくるようになりました。
しかし、遥さんの口数が戻ってきた頃、困った事が起こりました。遥さんが、「友達と前からUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行く約束してるねんけど。行ってきて良い?」と聞いてきたのです。

カウンセラーの「行かせてあげましょう」との発言に、
「もっと反省させたほうがいいんじゃないですか?」
お父さんは、あまり納得がいかない様子でした。

さて、USJに出かけた日。またしても困った事がありました。
午後10時には帰ってくるようにと約束していましたが、遥さんの帰宅が10時を少し過ぎてしまったのです。バツの悪い顔をして帰宅した遥さんに、「お前、何考えてるんだ!」とお父さんがどなります。お母さんが、「まぁまぁ、久しぶりに楽しんできてよかったじゃない」と言うと、お父さんは自室へ戻りバタンとドアを閉めました。

この翌日、お母さんが驚かれたことがありました。お昼に、頼んでもいないのに、遥さんがピザトーストを作ってくれ、その上、コーヒーも淹れてくれました。こんなことは今までになかったことです。

《遥さんが甘えだした》

小さい時から、手がかからず甘えてくることが無かった遥さん。ところが会話をしていると、日に日にお母さんと話す時の距離が近づいてきて、とても近い距離で話すようになりました。
「USJからの帰りが遅くなった時、絶対怒られると思った。まさか、私の味方してくれるとは。うれしかった。」

やがて、お母さんの肩や髪の毛など、体を触ってくるようになりました。最初、お母さんは甘えてくる遥さんに戸惑われました。しかし、甘えてくるのを受け入れると、どんどん甘えるようになりました。その後は、赤ちゃん返りのような状態になってきました。

《赤ちゃん返り(幼児退行)》

お母さんがとっても驚いた事が起こりました。
遥さんが小さい時によく遊んでいた大きなクマのぬいぐるみを抱っこして、リビングで過ごすようになってきました。顔つきも声色も以前と違います。
「ママ、このこ、クマのクータン。はるかのおともだちやねん。ママもクータンのおともだちになってあげて。」

19歳の遥さんが、幼稚園児のような振る舞いをするのです。夜中におねしょをしていたこともあり、特にお父さんは戸惑われ、「先生、これは脳の病気ですか?」と質問。

カウンセラーは「自分を守っているんですよ。これをきっかけに成長できるお子さんは多いんです。小さな子どものように相手してあげて下さいね」と伝えました。

《充電完了?》

3ヶ月、赤ちゃん返り(幼児退行)のような状態にあった遥さん。
お母さんにずっと依存した状態にならないように、カウンセラーはコミュニケーションの工夫すべき点についてアドバイスしていました。そして、お母さんはそのアドバイスに忠実に対応してくださいました。

充電がおわったのでしょうか。
遥さんは髪の毛をバッサリと切り、部屋の模様替えもしました。
そして、リビングの扉を勢いよく開けると、
「大学辞めることにした!」とお母さんに言いました。
その後、大学の退学手続きが完了すると、
「次にやりたい事が見つかるまでバイトするわ」と隆太さんに教えてもらったアプリでバイト探しを始めました。
「お〜、なんか雰囲気変わったな」と隆太さんがお母さんにニコッと笑いかけました。

また、大学1年生なのにバスケットボールの試合に出れると発表された時、3年生の先輩が涙を流しながら、オニのような形相でにらんできたので、「これはマズイと思った」等、バスケットボール部での心の葛藤を具体的に表現するようになってきました。

《私がバイトしている姿を見に来て!》

大学を辞めた遥さんは、家の近所のスーパーでレジ打ちを始めました。
アルバイトを始めて1ヶ月が経った頃、「レジ打つの速くなってん!打っている姿を見に来て〜」とお母さんに甘えた様子で言ってきました。お母さんはこの時のエピソードを「なんか可愛くって」と、とても嬉しそうに話して下さいました。今まで甘えてくるタイプではなかったから、余計に可愛く見えたのかもしれません。お母さんから話を聞いたお父さんが「いつ見に行くねん?」とスマホのカレンダーを見ながら聞いてきたそうです。

《様々な変化が起こって良い感じ》

リビングにやってくる時間が増え、これまでのように自室ではなく、リビングで本を読むようになったり、お母さんとゲームをするようになりました。この頃になると、お母さんと随分会話が盛り上がるようになってきました。特にバイトをしているスーパーでの人間関係についてよく喋ります。

「Aさんはね、全然仕事をしない」「 Bさんは文句ばっかり言ってる」など、バイト先の愚痴を言います。しかし、表情は明るく、「ほんとAさんには困ったわー。ハハハ」と笑い声もまじり、愚痴ることを楽しんでいるようです。
普段は口数の多い隆太さんが黙って、少し離れたソファでスマホを触りながら、ときどき2人の事を見ています。

《居場所を巡る争い、ここでもか!》

兄の隆太さんは、4つ年下の妹である遥さんをとても可愛がってきました。
ところが、そんな隆太さんが遥さんのことを「何か最近あいつイラッとするな」と言うようになりました。
「全然罪悪感が見えない。あれが物を盗ったやつの態度か!?お母さん達も甘やかしすぎちゃうか!?もっと厳しくした方があいつのためだ!」と興奮気味にまくしたてることもありました。
その後も「今のカウンセラーはダメだと思う。別のカウンセラーにした方が良いんじゃないか?」などと、親御さんに強く訴えてきます。

「先生、こういう場合、どうしたら良いのでしょうか?」と困った様子のご両親。カウンセラーは親御さんに隆太さんと接する上でのアドバイスもし始めました。物事が順調な時はなぜかピンチが現れます。隆太さんがあまり、カウンセリングの足を引っ張ってくれなければ良いのですが・・・。

《私、マザコンやもん!》

お母さんに“甘える”という事ができるようになってきた遥さん。ある日、お父さんとお母さんと3人で歩いてコンビニにスイーツを買いに行くことに。玄関を出ると、遥さんはお母さんの手をギュッと掴み、ニタっと笑いました。少し呆れた表情のお父さんと目が合った遥さんは、「だって、私マザコンやもん!」と胸を張り、手を繋いだまま機嫌良くコンビニに向かいました。

面接室でお父さんがしんみりとした様子でおっしゃいました。
「そういえば、遥が幼稚園の時に、私が妻の肩をちょっと触ったら『私のママや!』と怒ったのを思い出しました」

その後、お父さんは遥さんが高校生の時に財布からお金を盗った時の話をされました。盗んだお金で何も買っていなかった遥さんに、「その金で何が欲しかったんだ」と問いただしたら、こう返ってきたそうです。

「私が欲しかったのは・・・お金や」

バイト先の人間関係はややこしかったそうですが、それでも仕事には自信がついてきたようで、週5日、通うようになりました。 以前、外出する時は、「行ってきます」と声だけ聞こえていたのが、今ではリビングの扉を開け、お母さんの顔を見て、「バイト行ってくる。今日は9時頃に帰ってくるからね」等と言うようになりました。

色々と良い変化は出てきています。しかし、妹を可愛がっていた隆太さんが「あいつ見てるとマジでイライラする」と、ますます遥さんへの当たりが強くなってきています。
家庭の中でスポットライトを浴びるポジションを「奪われてたまるか!」と、隆太さんも必死です。隆太さん本人が自覚しているかは分かりませんが。。。

《うまく対処する力》

兄の妨害がありつつも、お母さんとのコミュニケーションが益々増えてきている遥さん。
引き続きバイト関係の話で盛り上がります。「同い年のフリーターの子がマウント取ってきて、めっちゃ腹立つ!」「主婦でパートのCさんは優しくて、いつも助けてくれるから大好き」「私、レジ打ちめっちゃ速くなったで!」

また、会話の中に、遥さんの自分自身への”気づき”に関する発言も混じるようになりました。
例えば、「私はそんなつもりないけど、ブスッとした子と思われて仲間外れにされてきた。もう少し話しかけたりしたら誤解されなくて、大学のバスケ部でもうまくやっていけたかもしれない。」

さて、ちょうどこの頃、兄の隆太さんの誕生日がありました。遥さんは兄へのプレゼントに、ネクタイと手紙をプレゼントしました。すると、なんと。この日以降、隆太さんの遥さんへの当たりは少し弱くなったのです。

この時のエピソードを面接室で話してくださったお母さんは、こうおっしゃいました。「ありがとうやごめんなさいを言うことすら苦手だった遥が、こんなことできるなんて!」

遥さん、頑張りました。うまく立ち回れました!

またある日、遥さんがバイトの愚痴をこぼしていると、それを横で聞いていた隆太さんは怒った様子で、「俺がスーパーの本部に電話して文句言ってやろうか?」と言いました。遥さんとお母さんは、「いやいや、そこまでしなくても」と言った後、二人で目を合わせてクスッと笑いました。

《届くことができたSOS》

大きな変化がまた出てきました。 「最近、夜中に目が覚めてトイレに行くのが続いててん。今は、夜中に目が覚めないし〜」その後、夜尿症がおさまっていることを伝えてきたのです。

面接室でお父さんが、「いやー、19歳の娘がまさかおねしょするとは」と苦笑すると、お母さんが、「お父さん、わかってないの?」と怒った後、「赤ちゃん返りしてくれてよかった・・・」

おねしょをすることが上手な表現だとはもちろん言えません。しかし、遥さんがおねしょをしたことで、「これは一大事だ」とご両親が危機感を覚え、問題解決に本気で取り組むことが出来ました。お母さんはそのことを理解しておられたようです。

SOSが届かないこともよくあります。届いてよかった。

《朝の光景(カウンセリングが始まって7ヶ月後)》

ある日の朝。バタバタと遥さんが階段をおりてきました。今日は、整体の専門学校の説明会に行く日です。
廊下ですれ違ったお母さんは、「牛乳とパンぐらい食べていったら?」と声をかけました。だけれど、イライラしている遥さんは「そんな時間ない。いらない!」と言ってトイレのドアをバタンと閉めました。
しかし、トイレから出てきた遥さんはリビングの扉を開け、少し恥ずかしそうな様子でこう言ったそうです。「やっぱり欲しい!」
一度、遥さんが「いらない」と言った場合、答えは覆らないのですが、遥さんが発言を変えました。一度断った後に、欲しいものを「欲しい!」と言えたのです。他の人にとっては普通のことであっても、遥さんにとっては勇気のいる行動です。

牛乳を飲み干すと、「説明会、なんかちょっと緊張するな。」と言って、軽くお母さんにハグ。2人の姿を笑顔で見ているお父さんの姿を見て、「行ってきます!」と言うと、元気よく出発しました。

面接室にて、近況を話してくださった後、ご両親は、「先生、今後遥は盗んだりしないでしょうか?」と聞いてこられます。

大学入学後、8ヶ月間で4回万引きした遥さんですが、カウンセリングが始まってからの7ヶ月間は一度も万引きしている様子はありません。
だからと言って「絶対にない」なんて言えません。しかし、これだけ精神的に成長すると、万引きを繰り返す可能性は限りなくゼロに近いでしょう。

遥さんは自分の欲求に正直になった。さらに、欲しい物を上手に掴めるようになった。
あまり必要でない物は盗らず、

本当に欲しいものを掴めますように!

※この記事は、当センターにご相談に来られたケースを基に、 個人が特定されないように書いております。

2022.08.16  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊介

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

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