5.野菜づくりで、父と洋次の会話がもどる

父親が買ってきた「野菜づくり」の本

面接室のテーブルの上に一冊の本がおかれている。きうり、茄子、トマトのあざやかな写真の表紙だ。「いよいよ野菜づくりを始めることになりましたか。それじゃ、一度ここで手順について、お父さんと洋次君とで話し合っていただけませんか。お母さんは二人の話しを聞きながら、要点を書き留める役をお願いします」。カウンセラーは、父親のとなりに洋次が座り、すこし離れて母親が席につくよう指示をだす。

父親:なあ、洋次、なに植えたい?お前が好きなもんにしたらえんやで。

洋次:(本を手にとって、パラパラ見ている)

父親:前植えたんは、きうりと茄子やったな。おなじもんにするか?

カウンセラー:お父さん、先々でてはりますよ。ちょっと待ってあげてください。

父親:あ、ほんまや。すみません。

洋次:今植えるんやったら、きうりと茄子がええ、ゆうて書いてある。

父親:そうか、きうりと茄子な。そらええな。ほなら苗やたい肥買いにいっしょにいかへんか。山手幹線沿いのホーム・センターがええやろ。

洋次:ああ。

しばらく二人の会話を聞いたあとで、カウンセラーは別室で親だけの個別面接の時間をもった。

会話を先へ先へと進める父親のくせ

「お父さん、今までの会話でなにか気づかれませんか?洋次君の表情とか声の調子とかから」と、カウンセラーは父親に聞いた。「はあ、今までとちごうて、茄子やきうり植えるゆうて、自分の意見をゆうてくれてます」

「それから後は?」「はあ、次の日曜日に、ホームセンターへ買いに・・・」「そこですよ。それはお父さんが決められたことですね。洋次君から言い出したことではありませんね。できるだけ洋次君が考えて、決めて、意見を言う。お父さんは、後からついていく感じで。お母さんは、お父さんが先々話を進めだされたら、ストップをかけてください。よろしいですか」。

また親子三人の会話にもどり、こんどは父親も気をつけて先に言わないようにした。じーと待っていると、洋次の方からぽつりぽつりと話しだすことに気がついた。「この前植えたとき、葉っぱに虫ついとったやろ。僕な、虫きらいやねん。お父さん、退治してくれるか。それやったら、植えてもええ」。「できたきうりや茄子、形わるうても捨てんといてくれるか。お父さん、僕にだまって捨ててしもたやんか」。じーっと辛抱強く待って聞いていると、次々と言葉がでてくる。洋次には洋次の思いや言い分があるということが両親にもわかってきた。

洋次の性格「じっくりと考えるタイプ」を、両親が理解

「こんなふうに聞いてくれたら、しゃべりやすいんやけど、っていうのはありますか?」と、カウンセラーは聞いた。じっとうつむいて、それからゆっくりと「僕の話にじーと耳をかたむけて聞いてくれるとしゃべりやすいです」と、洋次は答える。「それじゃ、こんな聞き方はきらいやっていうのは?」。「そうやな、僕がまだ考えてるのに、先に言ってしもたりとか、とちゅうで意見言われたりするんは大嫌いです」。カウンセラーと洋次の話を聞いていた両親は内心驚いた。いままで息子がこんなに好きや嫌いをはっきりと口にしたことがなかったからだ。

洋次のような性格の子は表面はおとなしいけれど、本来は好き嫌いが激しいものをもっていることが多い。ふだんは本来の性分を抑えており、あまりそういう面は出さない。家族は「おとなしい、あんまり自分の意見をもたない子なんやな」と、思ってしまうことがよくある。話し好きなんだけれど、すぐに言いたいことがまとまらなかったり、言葉が出てこなかったりする。このような性格の子の話を聞くときは、ゆっくりした雰囲気で、と押せ押せムードにならず、ゆっくりと言葉が出てくるのを待つ。この待つということがとても大切である。

両親が洋次の性格の本質に気づいてからは、だんだん洋次のほうからも話すようになってきた。部屋からでて、テーブルについて食事をするようにもなったし、テレビも好きな野球なら父親ともいっしょに見ている。本格的な立ち直りはこれからだが、やっとその基盤ができたと言える。

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