3.好きな物を用意して、母親から話しかけてみる

母親から先に話しかけてみると

いつもは美雪から「お母さん、きて」と、呼ばれてから母親は部屋へ行っていた。そこでさんざん愚痴や不満を聞かされて。「もうええやないか」と母親が言うと、「なにゆうてるんや。あんたらの育て方が悪いから私、こないなってしもたんやないか」と、怒りをぶつけられて。草々に退散しようという雰囲気で階段を下りてくる。そこでカウンセラーは、一つのヒントを提案した。「お母さん、いっぺんお母さんのほうから先に話しかけてみてくれませんか?」。そこでいつ、どんな内容で、どんなタイミングでといった細かな打ち合わせがなされた。

  • 美雪の好きな食べ物は?中華料理、なかでも八宝菜が大好き。それとチーズケーキも好き。
  •  〃 好きなテレビ番組は?恋愛ドラマが好き。ヨン様のでてくる「冬のソナタ」は大好き。
  •  〃 好きな洋服の色は?ブルーが好き。バッグも。トータルコーディネイトするタイプ。
  •  〃 比較的きげんのよいときは?寝起きはだめ。夕方ごろから少しよくなる。
  •  〃 部屋からでてくることはありませんか?トイレとお風呂くらい。あと歯医者へ自分で行く。

「一度タイミングを見計らって、美雪さんの好きな物を用意して、お母さんから先に話しかけていただけませんか。それでどんな反応が返ってくるか。今までと変わらないか。それともなにか変化があるのか。細かに観察してきてください。お父さんは後ろからお母さんを支えてあげて。買い物なんかは協力をお願いします」。

好きな物を用意して、話しかけてみた

お母さんの言葉がけがはじまった。わざとらしくならないように、まずは食べ物から入ってみた。「美雪ちゃん、チーズケーキいただいたんやけど食べるか」と、話しかけてみた。いつもは美雪から「お母さん、私のすきなもんくらいこうてきてくれたらどうやねん」と、文句っぽく言われて「あ、ごめんね。なにがええの?」と言う感じだったが、カウンセラーのアドバイスにしたがって、先に言ってみたのだ。意外にも美雪は素直に「え、チーズケーキ、食べるわ」と、自分から戸をあけて出てきた。「ようけあるさかい、もっと食べたかったら声かけてな」と、母親は思い切って言葉を加えてみたところ、わずかだが美雪の表情が和らいだような感じがした。

母親は久ぶりにはれやかな気持ちになれた。父親も報告を聞きながら「よかったな」と、喜んでくれた。次はどうもっていこう。「あの子のすきなおかずつくりましょうか」「そうかそれがええな。また二から三日あけてやってみよか」。母親も父親と相談しながら事にあたれるので、気持ちが軽くなったようだ。

積極的に母親からほほ笑みかけてみると

美雪の「好きな物」での先取り作戦も一月たったころ、面接室は明るいムードで話がはずんでいた。「だいぶ楽になったんです。一月前までは信じられないことが起きて」。食べ終わった食器も、以前は部屋の外に置いてあるだけだったのが、トイレに行くとき自分で下に持って降りるようになった。「お風呂わいてるで」と、声をかけたら「はーい、お母さん先入ってええで」と、返事が返ってくる。「ほんまにちょっとしたことですけど、恐れずにあの子の喜ぶことは、こっちからしてやったらええんやなって思います」。

母親はこんなことを思いついた。「先生、どうですやろ。私から『下で一緒にお茶のまへん』ゆうてさそってみては」と。「おいしいケーキでもこうといて」と、父親も口をそえる。しかし急いではいけない。一度やってみるけど、拒否反応を感じたらすぐにひっこめるようにというアドバイスを出しておいた。

次回の面接で母親から報告があった。「『美雪ちゃん』ゆうてほほ笑みかけたら、満足そうな顔つきしたんですよね。それで思い切ってゆうてみました。『おいしいケーキあんねんけど、下でお茶入れて食べへん?』。あの子ちょっと考えて『ケーキ?モンブランある?お母さんと二人だけやったら食べる』ゆうて、ほんまに下りてきましたわ。もう信じられません。何年ぶりでっしゃろ。美雪とテーブルでいっしょに食べたんは』。母親は興奮ぎみである。父親も「私も、隣の部屋でそーと聞き耳たてて様子うかがってました。ほんまに食べてましたわ」と、嬉しそうだ。

少しづつ美雪と両親の断絶していた距離がちぢまりだした。美雪のほうから、なぜひきこもりになったのか、不平、不満や親批判がどんどん出てくるようになれば、また一段とこの距離はちぢまるであろう。その下地がようやくできだした。

カウンセラーは「このままの状態で続けて下さい。そうしているうちに、次の展開がみつかるでしょう。ただ良くなってきたからといって、油断したらいけませんよ。次の作戦が必要です。経過をみながら考えて行きましょう」と、アドバイスをだしておいた。

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