「遅くてもいい、僕は亀なんや」と開き直りが出てくると、アスペルガーは改善

一家団らん、夢にみた時がやってきた

母親が会話をひきだすこつを覚えてからは、伸治のしゃべりも著しく伸びた。しゃべることが多くなると、居間や台所にいる時間も長くなる。いっしょに食事をしたり、テレビをみたり、そんな一家団らんと言える時間帯も家族みんなでもてだした。「ほんまに変わってきたな。自分から出かけるときもあるんやろ」「はい、そらもう、毎日のように出てますわ。買い物もたまにはしてくれるし」と、両親の会話もはずんでいる。

子どもが気持ちよくしゃべり、親がしっかりと聞き役をしてやることで、これだけ変わってくるかと、カウンセリングで親はうれしそうに話した。「こういう子はどうしたら、気持ちが乗ってくるかという工夫が大事ですね。お父さん、お母さんもほんとうに辛抱して、ああでもないこうでもないと工夫をしていただけました。伸治君は、今までは【しゃべらない子。すぐ怒る子】というレッテルがはられてましたが、ほんとうはしゃべるのが誰よりもすきなんですよ」と、カウンセラーは説明した。

文句もぐちもいっぱい言い出だした

しかしカウンセラーは忘れたわけではない。伸治が「アスペルガー」と診断されたことを。「しゃべることができだしたし、親も受けとめ方のこつがわかってきた。この基盤ができたら、こんどは次のステップだ。こんないいことばかりは続かないだろう。調子がいいときだからこそ、用心してみていかなくては」。カウンセラーは両親に次のようなアドバイスをだした。「だんだん自分のペースができてきますと、こんどは愚痴とか文句も出てくるようになります。よろしいですか。小さい頃のこととか、学校のこととか。けっこう聞き苦しいですよ。それでもしっかりと聞いてあげてください。言い訳したり、説明したりはいりません。これまでのようにじょうずに相づちをうって、どんどん話しやすくなる工夫はお願いします」。

伸治の文句は「ほうれん草のおしたし」からはじまった。「僕、ほんまはほうれん草、きらいやねん」と、食卓においてあったほうれん草のお鉢を突き返してきた。「え、あんた今までなんもいわんと食べてたやん」と、母親はなにげなく言ったつもりだった。とつぜん伸治はおこりだして「きらいやったらいかんのか。食べろ、ゆうんか」と、お鉢をぼかっとなげつけてきた。久しぶりの乱暴だったので、母親が気持ちが動転してうまく言えず、「なんでそんなことするの」と、つい言い返してしまった。

カウンセラーはこの話しを聞いて「いよいよきましたね。『ほうれん草がきらい』というのは、伸治君の好みですね。好き嫌いが自分のなかではっきりしてきたんだと思います。これはとても大事なことですよ」と、説明した。「文句や愚痴がこれから出てくると前にもお話しましたが、これからどんどんでてきますよ。ほとんどが受け身で聞き役に徹するくらいのお気持ちで。良いときが続きましたから、くれぐれも気をつけて。油断はいけません」と、アドバイスを重ねた。

つらかった子ども時代を語りだした

伸治の文句や愚痴はだんだん増えていった。両親がアドバイスを守って、しっかりと聞き役にてっするよう頑張った。「幼稚園のとき、むりやり僕を車におしこんだやないか。いやや、ゆうてるのに」とか、「給食の時間、僕がいつもいちばんおそかったや。そしたら先生はサッと食器さげてしもて。まだ食べてたんやで」とか、小さい頃の愚痴や不満もまじりだした。「今までこんなこと、ほとんど言わない子だったのに、心の中でずいぶんためこんでいたんだな。それがたまりたまっていたんだな」と、両親ははじめて息子のつらかった子ども時代を知ることができた。

理解してもらえてるという安堵感が、伸治の気持ちを少し開いてきたのかもしれない。外の世界を見回す余裕がでてきたようだ。高校時代の同窓会の案内がくると、なつかしそうに見ながら「行ってみようかな」と、口にしたりする。しかしこうした動きが必ずしも良い方向ばかりに行くとは限らない。だんだんと昔の友達とか同年代の人たちの活躍が気になりだした。

「あいつ、どないしてんねんやろ」「あいつって?」「高石や。高校時代、パソコンクラブでいっしょやったやろ」「ああ、高石君か。どないしてんねんやろな」「こないだなあいつのブログみつけたんや。なんとかいう大学の工学部で専門的な勉強してるゆうて書いてあったわ」「そうか、工学部にな」「なんや、その返事は。なんともおもわへんのか。僕はこんなひきこもりつづけてんのに。なんとか言えよ」「そんなことゆうたって。伸治は伸治でええやないの」「そんなことが答えになってるとおもうんか。親やったらなんとかせんか。だいたいお前らのせいやないか。僕がこないなってしもたんは」。

いよいよ次の困難な山にさしかかったようだ。ひきこもっている時は、どうして外の世界に出るようになってくれるだろうか。こんな思いでいっぱいだが、いったん出るようになると、それはそれで次のステップの問題がやってくる。本人は「あせり」や「劣等感」にさいなまされ、どうしようもない無力感にとらわれだす。

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