「私、本屋さんでバイトしたい」(佳代30才 摂食障害・過食症歴5年)

「引っかかること」が出てくる出てくる

過食症の治療で「小さなひっかかること」を言葉で伝えることができだすと、少しづつようすが変わってくる。佳代も『一日のうち、ひっかかること一つはお母さんに伝えよう』という課題はほとんど完璧にクリアーできてきた。過食症の治療をスタートして10ヶ月たったいまでは、出てくる出てくる。遠慮がちだった声にも力がこめられて、5つも6つも言えるようになってきた。

佳代の小さなひっかかること

  • 「テーブルのうえに、新聞おかないで。印刷してあるものって、なんか気になって」
  • 「玄関の靴やけど、ちゃんとそろえようよ。なんでうちはこんなに足癖わるいんや」
  • 「きのうの夜ね、おまんじゅうおきっぱなしやったでしょ。目につくとこにおかんといてよ」
  • 「お母さん、そのタオル汚れてるよ。そんなんで手ふいて料理してるん」
  • 「私の部屋に入ったら、きちんとドアを閉めてから話しをしてね」

文句っぽいことも母親だけでなく弟にも言えるようになってきた。「姉き、このごろ口うるさいな。ほっといてくれや」と、言いながらも弟は一応聞くようにしているそうだ。「お姉ちゃんの言うこと、聞いてやってな。過食症に、とてもだいじなことなんやて」と、まえもって母親から説明してもらっているので、抵抗を感じながらも「うん、うん」と聞いている。「弟さんへの気持ちのケアーも忘れずに」というセラピストからのアドバイスを聞いて、母親はたまには「協力してくれて、ありがとう」と、弟に小遣いをわたしたりしているそうだ。

小さいけど良い変化ってどんなの?

佳代に起こった「小さいけれど、良い変化」ってどんなことだろう。少しまとめてみたい。

生活面の良い変化

  • 朝、起こさなくても自分で起きるようになり、職場への遅刻もへってきた。
  • お父さんが帰ってきたら「おかえり」と言うようになった。
  • 夕食のあとすぐに部屋にこもってしまっていたが、みんなとテレビをみるようになった。
  • 「居間のカーテンの色、もっと明るいのにしたらいいのに」と、自分の好みも言うようになった。
  • 母親だけでなく他の家族(父親やきょうだい)にも、自分から話しかけられる。

過食症にみられる良い変化

  • がつがつとつめこむように食べていたが、ゆっくりと食べられるようになってきた。
  • 過食についやす時間も2~3時間かかっていたが、1~2時間と短かめですませられる。
  • 食べたあとの食べかす、袋、包み紙などを自分でごみ箱に入れ、きれいにできるようになった。
  • 自室で隠れるように食べていたが、見られても平気でキッチンでも食べられるようになった。
  • 「お母さん、焼きそばつくって」とか「これおいしくない。食べるのいや」とか、ときおり母親への依存がみられたが、最近では「ありがとう、いただきます」と素直に言える。

過食症の変化もだいじだが、生活面での小さな良い変化はとても大切である。とりわけ家族とのさりげない日常の会話が増えると、もつれた過食症の糸をほぐすきっかけがいろんな場面で見つけやすくなる。「小さなひっかかることを言葉で言って伝えよう」という課題からスタートして一年近くが経過した。思試行錯誤の一年だったが、こうした良い変化はきわめて自然に佳代自身の自発的な気持ちからでてきたものである。

「私、バイトがしたい」と、母親に言い出した

過食症になると、本人にとって一番困るのが、食材を買う費用である。佳代は学校をでてから過食症に悩まされるまで、図書館の司書として働いていた。本が好きで毎日本にうまっての仕事は、ほんとうはとても気に入っていたはずなんだけれど。先輩女性とうまがあわず、そのストレスがたまったのも一因と考えられる。カウンセリング治療をうけて過食症が楽になり、職場にはでられるようなった。しかしやはり人間関係がしんどくて、このさい一区切りをつけるつもりで退職した。

佳代はお給料のほとんどを過食の食材を買うのに費やしてきた。だから親にたよらずまかなえることができたのであろう。しかし退職してからは、その費用の工面に困るようになってきた。どうやら貯金も底をついてきたようだ。以下はバイトをめぐって佳代と母親の会話である。

駅前の本屋さんで、バイトしたい

母親:え、バイト?なんで今ごろ。朝から晩まで過食症にふりまわされてるやないの。

佳代:なんやの、その言い方。なんもふりまわされてへんで。このごろはちゃんとコントロールできてるって、 先生も言うてはるやないの。お母さん、なに聞いてるん。

母親:まあな。一日二回になっとうな、そう言われてみると。

佳代:あんな、お金がなー、あんまりないねん。

母親:えー、お金が?

佳代:うん、過食で食べる食材のお金や。もう貯金があんましないねん。

母親:それ、あんた、どんどん食べて吐いて、また買うて、そらいつかないようになるやろ。

佳代:そんでな、バイトに行こうと思うねん。駅前の本屋さん、ブックセカンドや。きょうバイト募集のちらしはいっとってんや。3時間でええねんて。それに時間帯は選べるし。朝、昼、夜と。朝はしんどいから、昼間にしよかなって思ってるんやけど。

母親:そうか、本屋さんな。続いたらえんやけど、また過食症でダウンしてしまわへんか?

佳代:うん、いまは朝起きもできるし。昼間、過食してへんやろ。そやけど、一回カウンセリングで先生にお聞きしてみよか思うんや。

母親:そのほうがええな。お聞きしてみよか。

「すごい進歩です。でも過食の量がふえないか」という心配が

次の面接で佳代からバイトの相談を受けたセラピストは、まずはおどろいた。ずーと長い間過食症にふりまわされる生活をしていた佳代のことである。人間関係がうまくいかないという理由で図書館の司書をやめたばかりだ。「本屋さんでバイトしたい」という佳代の発言は、大きな良い変化と思いたいが、いくつかの重要なポイントがある。体力はもつだろうか。長年にわたる過食症の生活で、かなり体力は落ちていることが多い。一度内科でからだの検診を受けたほうがいいとすすめた。

それ以上に心配なことは、バイトで過食症の食材にかかる費用を自分で工面しようという心意気はほめるに値する。しかし手元に自由になるお金が入ることで、過食の量がふたたび増えはしないだろうか。この点について慎重に事をすすめないと、新たな親子げんかの火種を増やすことになってしまう恐れがある。

「一難去ってまた一難」の感があるが、過食症の治療ははじめっから一筋縄ではいかないのが当たり前である。たえず気持ちを入れ替えて、あたらしい問題に直面する覚悟が必要である。

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