事例(1)頑張りすぎて燃え尽き症候群に(山田氏45才営業課長)
出世のチャンスだと全力を傾けて取り組んだプロジェクトが、会社予算の関係でとりやめになった。今までそばにいる者が驚くほどはりきっていたのに、山田課長は風船がしぼんだように元気がなくなってしまった。顔色は冴えなくなり、イライラと落ち着かない。ぼんやりしていることも多くなり、日常業務にも支障をきたすようになった。「これはおかしい」と気づいた上司が、当センターでのカウンセリングをすすめた。
不眠とイライラが続いて
面接室に入った山田さんは、腕組みをしたまま不動の姿勢でじーと壁を見つめている。心なしか顔色が冴えない。以下は担当カウンセラーと山田さんのやりとりである。
カウンセラー:どうなさいました。お宅の部長さんの高橋さんから紹介のお電話をいただいていますが。
山田:半年ほど前から、夜眠れなくなりまして。そのせいか頭が重くてしびれるような感じがしたりして。とにかく身体がだるくてやる気が湧いてこないんですよ。
カウンセラー:きっかけはなにか、思い当たることは?
山田:任されたプロジェクトが突然中止になって。会社の期待に応えたいと必死で取り組んでいたのですが。私なりに成功させる目算はたっていたのに。それを考えるたびに、むなしくてしょうがないんです。
カウンセラー:他にどんな症状がありますか?
山田:胃がキリキリと痛んで、食欲がありません。それにいつもイライラして、座ると立ちたくなるし、立つと座りたくなるというぐあいで仕事が手につきませんね。
カウンセラー:なるほど、それはずいぶんおつらい思いをなさってるんですね。
心の底から話したかったことを話せて安心したのか、山田さんは少し心と身体が軽くなった感じがしていた。
「新聞を読めるようになりたい」
山田さんはとにかく会社へ行きたくないという。仕事に意欲が湧かないし、書類を読んでも頭に入ってこないという。
カウンセラー:何が一番おつらいですか?
山田:新聞が読めないことです。字面ばっかり追っかけて、内容がスーッと飛んでいってしまう・・・。
カウンセラー:新聞が少しでも読めたら、良くなってきたなと思えますか?
山田:それはそうです。
カウンセラー:それでは「新聞が読めること」を、回復への第一歩としましょう。新聞の見出しと短い記事。これが目標です。しかし三ヶ月はかかりますよ。
こうして最初の目標は設定された。それをクリアーすべく、カウンセラーと山田さんは二人三脚でスタートを切った。
心の不安や悩みを文章に書いてみる
二度のカウンセリングを行ったあと、いよいよ具体的な治療へとすすんでいった。カウンセラーは一冊のノートを取り出しながら、今日の治療面接の説明に入った。
カウンセラー:このノートにあなたの心の中にあることを全て書き出してください。嫌だったこと、つらかったこと、そのほかなんでも洗いざらい書いてください。これが解決の鍵になります。
山田:え、このノートに。日記みたいな書き方でいいんでしょうか?
カウンセラー:そう、日記をつける要領で。なるべくリアルな気持ちをぶつけるように。こつは少々おおげさに書くことです。まとめようと思わないで。話し言葉のように感情の流れのままに書きすすめてください。一行づつあけてくださいね。あとで書き入れるかもしれませんから。
山田:わかりました。
カウンセラーは山田さんが鉛筆を手に取るのを目にして、しばらく面接室をはずした。15分ほどして戻ってみると、ノートには、大きさの整った文字がびっしりと書き込まれていた。
辛い体験や感情にアンダーラインを
カウンセラー:会社のこと、仕事のことが今回の「うつ」の原因と考えて間違いないようですね。それではこの落ち込みに関連する具体的な事柄を書き入れてください。
山田:あいたスペースに入れていきますか?色を変えたほうがわかりやすいですね。
カウンセラー:ああ、それはいいですね。山田さん、なんか頭が回転してきてますよ。
山田:え、そうですか。
ノートには、より細かく具体的な出来事が書きつらねられていった。『○月までに仕上げるはずだった仕事がゆきづまり・・。部長の信頼を裏切った私はダメな男だ』。『部下に指示をだしたはずなのに、聞いてないと言う。そんなはずはないと、思わずイライラして怒鳴ってしまった。しかしやはり私が忘れていたようだ。上司の資格もないのか』、と言った具合に。
カウンセラー:では次の作業に移りましょう。この文のなかでとくにつらい体験や感情のところに黒でアンダーラインを引いてください。
山田:え、黒で?こんな引き方でいいですか。なんでこんなことするのかなー。
カウンセラー:それはですね、あなたの悩みの問題点を明確にするためです。そうすることで、解決の糸口を早く見つけることができます。
みるみるうちに黒いアンダーラインが引かれていく。やはり会社に関わる部分だ。そう確認してカウンセラーはさらにステップをすすめた。
考え方のプログラムを書き換えて
さらに治療はすすんで、山田さんの心の奥深く沈んでいる鉛をどう溶かしていくかに入っていった。これがうまくいけば山田さんは、今のうつ状態から少しづつ抜け出せるであろう。
カウンセラー:こんどはちょっとややこしいかもしれません。以前引かれた黒いアンダーラインの部分を書き直していただきたいのです。
山田:え、書き直す、どんなふうに?
カウンセラー:説明しましょう。例えばこの文章ですが、「必ずラインからはずされる」という箇所にアンダーラインが入れてありますね。この断定的な表現を「もしかしたら、ラインからはずされるかもしれない」というふうに書き換えるのです。おわかりいただけますでしょうか?
山田:思っていることと違っていてもいいのですか。ただ機械的に書き換えるだけで?
カウンセラー:そうです。文体を変換するという要領でけっこうです。
カウンセラーが山田さんにしているのは、認知療法である。人間は誰しも自分なりの考え方や価値観をもっている。これをここでは仮に【プログラム】と呼んでおこう。人間の感情はなにかできごとが生じると、このプログラムに大きな影響を受けている。
このプログラムは、ふだんは意識されることはない。しかし落ち込んだり、自分を否定したりというマイナス感情が繰り返しみられる場合には、一度見直しでみる必要がある。
こうした書き換え作業は、その後二ヶ月続いた。山田さんをとりまく職場での状況は、いっこうに変わっていない。しかし本人の受け止め方には変化のきざしが見えてきた。「失敗は絶対にゆるされない」という文章は、「失敗しても、許されることもある」に。「会社に行くと、みんなが私を無視する」という文章は、「私を無視する人がいるかもしれない」に書き換えられた。
文章を書き換える治療が与える効果
文章というものは不思議なことに、人間の感情を左右する大きな力をもっている。混沌とした頭のなかを一度文章で整理し、書き換え作業により思考回路に柔軟性を与えることができるからである。
カウンセラー:どうですか。気のせいかリラックスしてこられた感じがしますが。
山田:はい、少し変わってきたような。あんまり自分ばかりを責めるのはやめました。
カウンセラー:ほー、それは始めて聞くことばですね。
山田:新聞を読んでいるうちに気がついたのですが、昨今の経済事情からすると、あのプロジェクトが中止になったのは無理もないと思えるようになりました。
カウンセラー:山田さん、今なんとおっしゃいました?たしか新聞を読んでいたらとか。覚えておいでですね。はじめに「新聞が読めること」を、回復への第一歩と決めたことを。もうお読みになれておられるんですか。驚きました。
山田:本当ですね。無意識に話してたようですが、最近少しなら目を通せるようになりました。
カウンセラー:文章の書き換えをスタートして三ヶ月がたっています。いつの間にか最初のゴールをクリアしていましたね。これで解決への道を間違いなく歩めると思います。
山田さんはその後も根気よく悩み文章の書き換え作業を続けていった。だんだん元気を取り戻していく山田さんにカウンセラーは次のようなアドバイスをだした。「仕事だけでなく、なにか他にも楽しみを見つけましょう。家庭やその他の時間も含めて、なにか自分でできることを」。それを聞いて山田さんの表情になにか決意したような緊張感が走った。「なるほど、仕事の他に楽しみをね・・・」。
そしてさらに二ヶ月たったころ、山田さんは明るい表情で職場への完全復帰ができるようになった。
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この内容は、当センターから出版した「職場のストレス・マネジメント」(メディカ出版福田俊一、増井昌美著)を参照にし、さらに読みやすく加筆、補筆したものです。
淀屋橋心理療法センター
福田俊一(所長、精神科医)
増井昌美(家族問題研究室長)




