過食症になってもう10年がたつという。祐子は今28才。18才のときからずーと過食症と闘ってきたことになる。大学を卒業して、大阪の印刷会社に勤務。まじめな仕事ぶりを評価され、同期のなかではいちばん受けがよかった。
ところが高校時代からひきづっていた過食症のため体重がかなり減少していた。職場で倒れること3回。「青木さん、本腰をいれて治療しなくてはだめだよ。長期休暇もとれるんだから」と、上司から声がかかった。とうとう祐子は退職を決意して、ふるさとの岡山に帰ってきた。
過食症を理解できない母親との仲が険悪に
実家でゆっくりくつろげるかと思ったが、それは甘かった。食べ吐きを目の当たりにした母親は「なんでそんなもったいないことするん。うちはそんな余裕ないけんね」と、額にしわをよせて怒った。「トイレが汚れてる」「食べ物の袋やカスがちらばって汚い」と、ことあるごとにガミガミ。母親と祐子の仲は険悪な状態になり、祐子は口もきかないし、顔も会わせようとしなかった。
こんな状態でカウンセリング治療はスタートした。母親は過食症についての説明を聞くにつれて、だんだん理解できるようになってきた。「いままで私、祐子に反対のことばっかり言ってきたんですね。申し訳ないことしました」と話した。母親はセラピストから受けたアドバイスを必死で守ってきた。三ヶ月後、「オヤッ」と思うような良いきざしが見えてきた。小さいけれど良い変化を、初期のころと比較しながらここでお話しよう。
小さいけれど良い変化が見えてきた
良い変化(1)『過食のとき、台所の戸をあけるようになった』
スタートしたころの状態
いままで過食をするときは、台所の戸をしめたままだった。母親が「ちょっとポットとらせてほしんだけど」と中に入ろうとすると、「入るな、出て行け!」とお皿が飛んできたりした。祐子が過食をしているあいだじゅう、家族は台所の中にはいれず、不自由な思いをしていた。
3カ月後の良い変化
母親が朝起きて台所に行くと、祐子は過食をしているようだった。が、戸は開いていた。母親は面接で「先生、聞いて下さい。戸があいていたんです。あの子、過食をしてるのに平気で。びっくりしました、でもうれしかったです」と、報告があった。
良い変化(2)『言葉がけしても無言だったが、あいさつだけは返すようになってきた』
スタートしたころの状態
「おはよう、暑くなりそうやね」と、母親が声をかけても顔をそむけて知らん顔。「そろそろ要るかと思って、これ買っといたけん、つこうてくれんね」と、歯ブラシをわたすと、「いらんわ。よけいなことせんと」と、投げ捨てた。
3カ月後の良い変化
「おはよう」と声をかけると、こっちをむいて「おはよう」と返ってきた。「おつかれさん。暑かったやろ」とねぎらいの言葉がけについては返事はなかったが、おだやかなややほほえんだ感じの表情になった。母親は「いやー、もううれしかったですわ。ドキドキしました。久しぶりであのこのいい顔をみたような気がします」と、喜んでいた。
良い変化(3)『買ってほしいものを、紙に書いて張り出しておくようになった』
スタートしたころの状態
ほしい物があっても絶対に言ってこなかった。自分で買ってきて使っていたし、またそれを家族に使わせようとはしなかった。一度うっかりと母親が本人のシャンプーを使ったことがあった。「だれや、私のシャンプーつかったんは!」と、ヒステリックに泣き叫んで大騒ぎになったことがあった。
3カ月後の良い変化
.買ってきてほしいものをメモに書いて、冷蔵庫のドアに張り紙をするようになった。「暑いから麦茶冷やしといて」「私のスリッパ古くなったから、新しいの買って」とか。これは母親に対してだいぶ甘えがでてきたようだ。固く閉ざしていた心の扉をすこーし開きはじめたか。
淀屋橋心理療法センター
福田 俊一(所長、精神科医)
増井 昌美(過食症専門セラピスト)





